<GILLIE>株式会社ギリー
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GILLIE CLUB

『桜の花の咲く頃に』鑑賞
〜フジテレビ横山隆晴プロデューサーを囲んで〜

<ご案内>

ギリークラブの番組制作者シリーズ、フジテレビの横山隆晴氏の登場です。

昨年11月に放送された『泣きながら生きて』というドキュメンタリー、私は自宅で泣きながら見ていました。テレビ番組を見ながら涙するというのは、実はなかなかありません。久しぶりのことでした。

私の周囲にはこういう人が多いのです。
『最近のテレビには見るものが無い』
『どこの局でも同じような番組をやっている』
『BSやCS以外で時間を割きたい番組は無いしニュースもネットで見る』

この傾向は否定しませんが、そういう人にこの番組を見てほしいと思いました。優れたコンテンツとはこういうものです。人の心を動かす番組とは、、、、それを今回観たいと思います。

この番組を作ったフジテレビの横山氏を編集室に訪ね、結構長い時間話を聞かせて頂きました。この番組の事、他の番組の事、今のテレビ界の事、、、、とっても充実した時間でした。そんな話を私だけでなく、ギリークラブでぜひ語ってとお願いをし、実現しました。

良質な番組を見て、制作者と語る。これからのテレビ番組、コンテンツを考える会です。

横山さんと相談して、今回観ていただく作品は『桜の花の咲く頃に』にすることにしました。

DVDをお借りしてその晩観た番組は・・・このページの最後に概要をつけておきますし、詳しくはサイトで見ていただきたいのですが、またも涙、涙でした。

これは「第1回 日本放送文化大賞グランプリ」と「平成17年 日本民間放送連盟賞 最優秀賞」をダブル受賞した作品です。質の高く、放送文化の向上に寄与したと評価された番組なのです。

2005年4月に放送した番組ですが、DVD化もしておらず、今回を逃すといつ見られるか分りません。またタイトル通りの桜の季節に見られるのです。

今回のギリークラブ、まずは1時間半ちょっとこの番組を見て下さい。番組を一視聴者として観て頂いた後に横山氏から話を聞きます。

番組制作の意図、
放送で描いたこと、
描ききれなかったこと、
後日談、
トピックス、、、

今後の番組作りに関して横山さんが感じていること、今どんな番組を手がけているのか、他のコンテンツに対してのご意見など、稀代の番組制作者横山氏にストレートに語って頂きたいと思います。

良質な番組を作り、世の人に感動を与えている人はどのような人なのか、この時代を生きる為にそこから何を学び、ご自分のものにするかは、ご参加の方それぞれの課題かと思いますが、少なくともこの番組を観て、制作者と話しをする事は大いに意味があることかと思います。

お台場まで行く価値が大いにある会です。どうぞ時間を調整してお出かけ下さい。奮ってのご参加お待ちしています。

<横山隆晴氏プロフィール>
1953年生まれ
新潟県新潟市出身
新潟県立新潟高等学校
早稲田大学政治経済学部卒業
所属:フジテレビ編成制作局ゼネラルプロデューサー

<参考サイト>

☆『桜の花の咲く頃に』
http://www.fujitv.co.jp/ichioshi05/050422sakukoro/index2.html
☆『泣きながら生きて』
http://www.fujitv.co.jp/ichioshi06/061103nakinagara/index2.html


<実施概要>

●ギリークラブ 『桜の花の咲く頃に』鑑賞
   〜フジテレビ横山隆晴プロデューサーを囲んで〜
●日時:3月6日(火)19:00〜21:30
18:30 受付開始  早くいらした方には先に関係者の方を紹介します。
19:00 『桜の花の咲く頃に』上映開始
20:30 横山プロデューサーの話
21:00 交流会開始(飲食無しです)
21:30 終了 その後希望者での食事会(別会費です)
●会場 お台場 フジテレビ本社屋1F マルチシアター
・参加者に集合場所などの詳細をご連絡します。
・食事会場は未定です。
●ゲスト:横山隆晴氏(フジテレビ 編成制作局 ゼネラルプロデューサー)
●会費:ギリークラブ会員 3,000円  ビジター 5,000円
●参加人数:申込先着順 30名限定 (メンバー優先です)
●応募締め切り:2月28日(それ以前でも満員の際には締め切ることもあります。)
※満員の際にはキャンセル待ちもお受けします。
●協力:フジテレビジョン
※交流会での飲食は無しです。何か少しお腹に入れていらっしゃることをお勧めします。
※ギリークラブメンバーになるには・・・別途入会書式をお送りします。
会の主旨をご理解頂き、終身会費10,000円&年間通信費5,000円をお支払い下さい。
(但し、初回はビジター参加して下さい。)
詳細はサイトをご覧下さい。http://www.gillie.co.jp/g_club/

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★ギリークラブ事務局行き
(必要事項を記入、不要な部分を消してご返送下さい。不参加の場合は返信不要です)
●3月6日(火)『桜の花の咲く頃に』鑑賞 に参加
会社名:
ご氏名:
電子メールアドレス:
携帯電話番号:          (←当日連絡用です。必ずご記入下さい)
携帯メールアドレス:       (←当日連絡用です。必ずご記入下さい)
●領収書発行:□不要 □希望(宛先:               )
●ご同伴者 :□なし □有り(        様)
●食事会(別会費):□不参加 □参加 ←何れか消して下さい。
●ギリークラブ入会状況 □メンバー □ビジター参加 ←何れか消して下さい。
●質問(あれば):

※初参加の方はビジター登録が必要です。(別途お送りします)
登録されない方はご参加頂けません。必ず登録して下さい。
※今回入会ご希望の方はご連絡下さい。入会書式をお送りします。
☆満員の際には、ギリークラブサイトに満員御礼の表示を掲出します。
会期が近くなってからの確認はサイトでお願いします。

『桜の花の咲く頃に』

◆イントロダクション:
「白線ながし」「小さな留学生」・・・。
心に残る数々のドキュメンタリーを手掛けたプロデューサーが、北海道最東の地・別海町の自然、そしてそこで生活する人々に魅せられ、1年間長期取材を行った。はたして、彼の目に映った別海町とは・・・。

◆企画内容
北海道、東の果て、別海町。すぐ目の前には国後島が広がるこの町は、日本で2番目に大きな面積を持つ。その広さは東京23区の倍以上。人口は、約17,000人。12万頭の牛を擁する酪農とオホーツク海の沿岸漁業が支える町。その町の唯一の高校、北海道立別海高等学校。創立53年を迎えたこの高校は、全校生徒数、約500人。もともとは開拓者の子どもたちが通う酪農専門の高校として創立された。今でも、1学年4クラスのうち、普通科が3クラス、酪農科が1クラスという構成だ。

一昨年の春、3年生になったばかりの彼らの、家族や教師の織り成す思いを背景に、昨春卒業して旅立っていくまでのかけがえのない1年間を、道東の四季折々の情景の中に映しこみながら描く、長期取材ドキュメンタリー。

雄大な四季折々の道東の風景。長い冬が去って、惜しむような短い夏。町を横断してオホーツク海に流れ込む西別川。秋には鮭の大群が溯上してくる。早朝、牛の吐く息が白くなり始めると、別海町の冬は一気にやってくる。高校生活、最後の季節。そして旅立ちの準備、卒業・・・。旅立つ人、見送る人・・・春が、またくる。最果ての町に咲く桜は、決して華やかではない。ひっそりと、そして3日ほどしか咲かない。しかし、その控えめな姿の中にこそ、美しさがある。

今回、この長期取材、そして制作にあたったのは、「白線流し」「小さな留学生」「ドキュメンタリー北の国から」など、数々のドキュメンタリーを手掛けた横山隆晴。別海町の自然、そしてそこで生活する人々に魅せられ、カメラマンと二人、1年間別海町に住みこんでの取材を行った。果たして、彼の目に映った別海町とは・・・。

◆ 企画のきっかけ・・・
企画のきっかけは、実は高校時代に家出をしてヒッチハイクで北海道を周っていたことがありまして(笑)・・・そのときに別海町を訪れたことがあり、“いいところだなあ”という印象がありました。そして、アソシエイトプロデューサーとして携わった「北の国から〜遺言〜」のときに、原田美枝子さん演じる、水谷涼子先生の住んでいる場所を決める際に、羅臼から中標津にロケハンに来て、“懐かしいなあ。あの頃と変わっていないなあ”と思いました。

別海町というところは、日本の最東に位置し、四国の香川県ほどの面積を有する日本で2番目に大きい町で、酪農と漁業という陸地と海というまったく違う第一次産業をベースにしています。しかも、そんなに広い町なのに高校は一つしかありません。具体的に別海高校に着眼しはじめたのは、「北の国から〜遺言〜」の翌年に盲目のヴァイオリニスト・増田太郎さんを取材する機会があって、彼が別海高校から呼ばれてコンサートを行ったんですね。これはまた縁があるなあと。酪農と漁業をベースとしたこの町に住む子どもたちは、本当に感心するくらい、よく家のお手伝いをします。そんな子どもたちを描くことができたらと、1年間カメラマンと二人でこの別海町に住みこんで取材をしました。

◆ 制作を終えて・・・
この番組の取材は、先に何かがあることが判っているから始めたのではなく、先のことは全く何も判らないまま、恐らく何も特別なことなど起こらないだろうことを前提としてスタートしました。しかし、その場所(別海町)に【住み続ける】ことによって、感覚を静かに研ぎ澄ませば、一見、何の変哲も無いように思える人々の日常の中に、本当に大切なものがきっと見えてくる可能性があるような予感を持っていました。恐らく、私たちが別海町の“住民”でなかったら、(遠藤カメラマンは、敢えて住民票も別海町に移しました)、テレビに出ることに何の必然性も無い多くの人々が、こうしてカメラの前に立ち、本当のことを語ってくれることはなかっただろうと思っています。

別海町は、自然の厳しい町です。映画館もありません。大きな本屋さんもありません。カラオケボックスもありません。塾も予備校もありません。しかし、そんな都会では想像もつかないような環境の中で、人々は懸命な日々を淡々と送り、高校生たちは学び、そして働いています。私には、日本で一番美しい情景を持つ町のように感じます。

最終的にどんな番組を制作するのかも判らない、東京からブラッとやって来た私たちを、長期に亘り温かく受け入れて下さった別海高校の先生方はじめ関係者の皆さん、別海高校の生徒の皆さん、別海町の皆さん、取材を受けて戴いた総ての皆さん・・・・・・・心から感謝致します。