「北の国から」テーマ・パーティ
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<ご報告>
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このお二人のコンビで22年間作ってきました
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今回のギリークラブはフジテレビの、というより日本を代表するドラマ『北の国から』をテーマに、長年このドラマに携わっていた杉田成道監督、山田良明広報局長の両氏を迎え、お二人の対談形式で『北の国から』にまつわる話をお聞きしました。
開催当日の9月3日はシリーズ最終回『北の国から 2002遺言』の放送直前とまさに絶好のタイミング、22年間にわたる壮大なこのドラマの裏側の総括、秘話、感想を直接お聞きできる機会に、ご参加の皆様は静かな感激をされ、交流会もしっとりとした雰囲気でいかにも『北の国から』らしいテーマ・パーティとなりました。
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大変多くの方がご参加でした。
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実は渡辺幸裕にとってもこのドラマは特別のものです。『北の国から87初恋』放送時にサントリー宣伝部のテレビ担当だった渡辺は、広告主プレビュー会場で“テレビ番組の圧倒的なパワー”に打ちひしがれ、そこで出会った山田氏、杉田氏はじめ各テレビ局の制作部門の方との交流が始まったといっても過言ではありません。富良野へも何回も訪問し倉本聡氏との関係もその時以来続いています。
今回はその『北の国から』最終回にあたり、できるだけ自分なりの方法でこの番組を応援したい、山田氏や杉田氏という素晴らしい人をギリークラブご参加の方にご紹介し、『北の国から』をより楽しむ為の機会にして欲しい、そんな気持ちで企画しました。
皆様ご存知の様に、9月6日(金)7日(土)二夜連続で『北の国から2002遺言』が放送され、金曜日が38.4%、土曜日が33.6%という脅威の視聴率を獲得しました。それだけ多くの人が自分の時間をこのドラマに合わせたか、という凄い事ですし、我々だけでなく如何に多くの日本人がこのドラマに関心を持っているか、愛着を感じているかという証です。
この会は放送直前の期待感高まる時期に、決して上っ面だけでなくこのドラマの持つ意味、そしてどんな人がどんなに苦労して我々に感動と新鮮な涙を誘っているか、心をひきつけているか、それが充分に分る一夜でした。
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ポスターや本が会場内を盛り上げます。
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『北の国から』データ篇
(連続ドラマ)
「北の国から」
'81年10月9日〜'82年3月26日(金) 22:00〜22:54 14.8%(平均)
(スペシャル)
「北の国から'83冬」 '83年3月24日(木) 20:02〜21:48 26.4%
「北の国から'84夏」 '84年9月27日(木) 20:02〜21:48 24.3%
「北の国から'87初恋」 '87年3月27日(金) 21:03〜23:22 20.5%
「北の国から'89帰郷」 '89年3月31日(金) 21:04〜23:37 33.3%
「北の国から'92巣立ち」
前編 '92年5月22日(金) 21:04〜23:22 32.2%
後編 '92年5月23日(土) 21:04〜23:54 31.7%
「北の国から'95秘密」 '95年6月9日(金) 20:04〜23:22 30.8%
「北の国から'98時代」
前編 '98年7月10日(金) 20:04〜22:52 25.9%
後編 '98年7月11日(土) 20:04〜23:18 24.8%
「北の国から2002遺言」
前編 '02年9月6日(金) 21:00〜23:37 38.4%
後編 '02年9月7日(土) 20:03〜23:09 33.6%
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これらのポスターも最後にはどなたがお持ち帰りになりました。
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スタッフ
原作・脚本 倉本 聰
音楽 さだまさし
プロデュース 中村 敏夫(フジクリエイティブコーポレーション)
杉田 成道
AP 横山 隆晴
演出 杉田 成道
制作 フジテレビ FCC
主な登場人物
黒板 五郎 田中 邦衛
黒板 純 吉岡 秀隆
笠松 蛍 中嶋 朋子
中畑 和夫 地井 武男
中畑みずえ 清水まゆみ
北村 草太 岩城 滉一
宮前 雪子 竹下 景子
小沼しゅう 宮沢 りえ
水谷 涼子 原田美枝子
成田 新吉 ガッツ石松
宮田 寛次 (シンジュク) 布施 博
1881年10月9日から連続ドラマ開始し24回にわたり放送。その後7本にわたるスペシャルドラマとしての放映を経て2002年9月9日、10日の遺言でファイナルを迎えた。毎回高視聴率を記録し、まさに国民的なドラマ。
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ご参加の皆様も北の国からにひたっています
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ご夫婦や姉妹でご参加の方が多かった夜でした
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●『北の国から』のはじまり
撮影が開始されたのは1980年。当時フジテレビは激化する視聴率競争に決して勝っているとはいえなかった。そこでフジテレビではドラマ、バラエティーの両部門で、「フジテレビの顔になる番組」を作りたいと考えていた。そのドラマの「顔」になるべく『北の国から』の撮影が始まった。
(企画のコンセプト)
当時のテレビ文化は中央集権的で東京から全国に電波が発信され東京の文化価値観が日本の文化価値観とされていた。しかしながら本当は地方には地方の価値観がある。もちろん富良野にもある。その価値観を逆にして、地方から東京に電波を逆流させたい、挑戦したい、というねらいが根底にあった。その裏には東京の文化に対する文明批評も含まれていた。
また『北の国から』を撮影するにあたって大きく関係しているのはVTRカメラの進歩だった。持ち運び可能なVTRカメラが登場し始め、それを使って富良野をひとつのスタジオにして自然を主体としたオールロケーションドラマを作ってみたいと考えた。
(イメージは大草原の小さな家)
離婚した父親が無理やり子供を連れてきて文明の未発達なところに叩き込み、子供が反発しながらやがて父親の生き方、自然とふれあいながら育っていく過程を、母恋しいのベース仕立て、というイメージが決まった。
(当時ありえないような壮大なロケーション)
当時では破格の1年半のロケーションが行われた。赤字も出し、このドラマが失敗したらフジテレビも失敗するという厳しい状況の中スタートした。
番組スタート時に裏番組ではTBSの「思いでづくり」という山田太一さんの作品ドラマが若者に大人気で、当初『北の国から』はその「思い出づくり」に押され視聴率で苦戦を強いられていた。が、その番組終了から『北の国から』の人気が徐々に高くなってきたのである。(北の国からは6ヶ月のシリーズだった)
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渡辺幸裕も自分と『北の国から』の関わりを語ります。
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●8月23日30日の総集編について
今年の8月23日、30日に放映された総集編も大変反響が大きく、今まで『北の国から』を見ていない層にまで反響がおよび大変好調だった。やはり最終回放送に先駆けて、おさらいをしておきたいという方が多かったのであろう。総集編では当時ディレクターとして参加していた山田良明氏の演出部分が多く採用され、自分が担当した部分が少なかった、と杉田監督が苦笑して話していたが、お二人の演出手法の違いやキャラクーが感じられる印象的なお話に参加者一同聞き入っていた。
●22年の『北の国から』の撮影を振り返って
1880年10月から秋編のロケが開始し、1年かけて撮影が行われた。その打ち上げの日が『北の国から』の記念すべき放映初日で、みんな一緒に見ていたとのこと。しかしながら楽しい思い出は少なく苦しい思い出が多い。脚本家の倉本氏は毎日撮影現場を見にきていた。
その倉本氏にしつこく言われたのは、「大きなうそはついても小さなうそはつくな」それはスタッフの標語にもなっていた。
あくまでもドラマなので当然フィクションはある。但しフィクションが本当に見えるためには小さなうそをついてはいけないということ。そうはいってもなかなか、“言うは易し、行うは難し”だった。
初めに取り組んだのは「俳優の肉体化」。大自然で暮らしている人をリアリティーあるように見せるためには俳優に慣れてもらう事が必要だった。薪を割っているシーンでもいつも薪を割っていない人が薪を割っても、決して慣れているようには見えない。そこで五郎役の田中那衛さんには、撮影が行われていなくても毎日倉本先生の家の薪を割ってもらい、薪割りのコツを習得してもらう為大変な努力をしてもらった。
(究極にリアリズムを追求したシーン)
草太(岩城滉一)がボクシングで勝ったら雪子に結婚を申し込むシーンがあった。
3ヶ月前から岩城滉一はボクシングのトレーニングをし、プロの4回戦ボーイと後楽園ホールで本当に対戦させた。本来の筋書きでは負けることになっていたのだが、もし本当に勝ったら脚本を書き直すつもりで戦わせた。ガッツ石松氏の指導で岩城氏は“絶対に勝つ”という意気込みで闘い、本気で戦ったからこその迫力アルシーンが撮れリアリズムを追求することができた。(2ラウンドでKOされた岩城さんが意識不明、救急車、というスタッフ真っ青状態、病院で意識が戻り事なきを得たが、一歩間違っていたら大変な事だった)
(大変だった子供の頃の純と蛍)
7、8歳の子供にもリアリズムを追求。家に駆け込んでくるシーンでも数百メーター先から走らせて、家に駆け込んでこさせながら撮影した。息が切れて家に入ってくるシーンのリアリティーを追求するため本当に息を切らさせた。そうでなければ本物に見えないから。水におぼれるシーンでは本当に水におぼれさせたりした。
子供は特に演技ではリアルに見えない。だからこそぎりぎりのところまでやってリアリティーを追求したのである。これは・・・・児童虐待である。
五郎が吹雪の中、丸太の下敷きになり一昼夜吹雪の中生きようとするシーンがあったが、この脚本をみた田中那衛さんは、一言「死ぬなぁ・・・」。とつぶやいたという。
このシーンは一週間かけて撮影を行った。寒さを映像で表現するのは非常に難しい。本当の吹雪の中で撮影するとただ白い画像ができるだけなので、雪をかき集め巨大な扇風機で風を送り人口的に吹雪を作った。そうすると体感温度は異常に低くなり俳優にとっては過酷な撮影となる。かじかんだ芝居をするには、実際に俳優にかじかんでもらわないとテレビを見ている視聴者にはリアルに見えないのである。田中那衛はそのシーンで軽い凍傷になってしまった。
純が東京へ旅立つ日にトラックの運転手からもらった、泥のついた一万円札をみて泣くシーン(これはシリーズの中でも、一番印象的なシーンとして有名)がある。
ある苦しさで泣くような顔がいいなと思っていたのでそのような指示をし、吹雪の中で純がスタンバイし、気持ちが出来たらトラックに乗ってきて芝居をするように環境を作った。純が入ってくるまでに時間がかかることもあるので、その間スタッフはずっと待っている。この撮影では3時間くらいかけたがいい絵が撮れない。どうしても納得の行く泣き顔が撮れない。最後には純が五郎の気持ちを思ってトラックの上で泣くという、感動的なシーンが撮れたのだが、実際は吉岡秀隆がその状況がずっと続いたことでスタッフに申し訳なく、居たたまれなくなって泣いていたということだった。でもそのお陰でとても印象的なシーンを撮ることができたのである。
このようなリアルを追求した撮影が『北の国から』のベースとなっている。
よい作品を作るため俳優陣に対してもとても厳しい状況をつくってきたが、本当に良い作品を作るためには少しでもよい素材をたくさん作り編集してゆかなければならない。編集時にあの時撮影しておけばよかったと思っても素材がなくてはクオリティーの追求は出来ない。それでどうしても「もう1テイク」になっていくそうである。
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『2002遺言』の資料、大人気で取り合いになりました。 |
山田氏と渡辺、実は兄弟分の関係です。 |
●こんな撮影を22年続けてきた最後の作品が「2002遺言」
「2002遺言」は2001年の秋から撮影を開始。純が知床半島にいる設定なので今回は羅臼の撮影が多かった。流氷の上での撮影もしなければいけないというのもあった。すでに『北の国から』は照明の方もカメラマンの方もみな定年になり、この撮影のためだけに集まるようになっていた。
●何度も聞かれること「どうして終わるのか」
この番組は非常に特殊で22年間ほぼ同じメインスタッフでな制作体制な制作されてきた。カメラマンはフジテレビの中でも非常にこだわりを持った人で、『北の国から』の美しい自然のシーンもこのカメラマンの腕にかかっていた。一人で早朝に大自然撮影をしてきたり、とてもこだわりを持った職人さんであった。昨年秋の撮影には参加できたが、冬のシーン前に病気で倒れてしまった。照明の方も病に倒れている。
美術班のこだわりも凄くて、例えば五郎の廃屋の家も、半年もかけて色んな地区から廃材を集めて、1ヶ月をかけて一軒の家を立てる程であった。
22年このようなこだわりを持って作品を作ってきたが、スタッフの高齢化が進んでいて、次回の撮影は同じチームの人間で撮影は出来ないかもしれないだろう。そうなるとスタッフと役者との人間関係で成り立っていることもあり、あのスタッフが居ないなら出ない、という事が容易に考えられる。また蛍の夫(正吉)役も今は俳優ではなく本業を持っていて、いまや会社社長となり仕事の関係で撮影に参加できなくなってしまった。よって今回のような結末になっている。
このようないろいろな条件が重なり、次回の制作が出来ないまま長寿番組がフェードアウトしてしまう可能性が出てきたが、それはあまりに期待されている視聴者の方に対して不親切だろうと考えた。この際責任をもって「終わる」といったほうがきちんとしているだろうと考え、半ば強引だとは思うが、一応の区切りをつけた形とした。
ドラマはすばらしい本(原作)が無ければ出来ないけれど、スタッフも非常に重要である。数分のシーンを一日かけクオリティーを追求する作品である。スタッフはそれぞれジグソーパズルの一ピース。ひとつでもかけると『北の国から』が作れなくなってしまう。
毎回、視聴者は彼らの「その後の生活」が見たいという。でもその中で新しい発見がなければ視聴者は納得しない。スタッフは毎回前作よりも良い作品をという気持ちで制作していた。撮影開始時のスタッフ会議では毎回「馴れ合いにならないようにしよう」と話し合ったが、どうしても22年やっていると「馴れ合いになってしまう」。
かつての引出しを引っ張らないようにし、新しいものとして作り上げるよう努力してゆく。そんな注意をして続けてこられたのは、スタッフにこんな意識があったからである。
霊がついているようなドラマ
蛍が妊娠したシーンを作った際には実際に中島朋子が妊娠。今回の地井武雄の妻が死んでしまうシーンを作ったら、本当に地井武夫の奥様が亡くなられてしまった。今回のことはとても申し訳なくつらかったが地井さんを説得し、納得してもらい「遺言」の撮影に取り組んだ。
ドラマが終了すると、電話が何十本、封書も2000通、はがきも何万通とくる。
封書に目を通すとそれぞれの自分の人生を書いてくる方が多い。たくさんの人が自分の人生と重ね合わせてこのドラマを見ている。それがこのドラマの大きな特徴であり、特殊な部分である。自分の父親のことを思ったり、子供のことを思ったり、自分の人生の、過去のサイクルを映像の向こうに見ていると思われる。ドラマを鏡にして自分を見ているのだろうと思う。中には背負いきれないことを書いてくる人もいる。
普通のテレビドラマは数字(視聴率)が支えているが、このドラマは視聴者の「思い」が支えているのだと思う。自分たちはたまたま制作に携わったが、半分以上は視聴者の思いで続いてきたのだろうと痛感している。
というようなしっとりとしたお話をお二人から伺いました。
原作、脚本、スタッフ、俳優、現場、視聴率、もちろん民放テレビ局の放送という経済原則のお立場も分った上で、22年間、22年間も『北の国から』に直接関わっていらしたお二人の言葉の重みにご参加の方は、真剣な表情で、でも時には話に出たシーンを思い浮かべてうるうるされている方もいらっしゃいました。
今回はご夫婦で参加、姉妹でご参加、というような方もいらっしゃって、耳慣れたさだまさしのテーマミュージックが流れる中の、番組のポスターや原作本の展示コーナーなど、いつもとは違うゆったりした雰囲気の交流会となりました。制作現場ドキュメンタリーVTRのダイジェスト版の放映にも見入っていらっしゃる方が多く、原作本コーナーではあっという間に売り切れ、もっとお持ちすれば良かったと反省しています。おずおずと『済みません、あのポスター頂けませんか?』と。女子高生のような仕草で大切そうにお持ち帰りになった方の姿もとても印象的でした。
『北の国から 2002遺言』は6日(金)21:00.7日(土)21:00二夜連続の放送でした。
凄い視聴率を残して、日本を代表するドラマの最終章は幕が引かれました。きっとご参加になられた方はそれぞれの思いを胸に、ご自宅でご覧になって泣かれた事でしょう。
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<ご案内>
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ギリークラブ、今回はこの秋一番の話題の「北の国から」です。フジテレビのというより、もう日本を代表するドラマです。
もう22年間も続いてきたドラマ、五郎、純、蛍、3人を取り巻く人々、富良野の大自然、ラベンダー畑、農場、雪原、五郎の家・・・さだまさしが唄う、あの名曲は皆さんの頭の中にあるはずです。
そのドラマがこの9月6日(金)7日(土)の二夜連続放送の「北の国から2002遺言」でピリオドを打ちます。(9月6日(金)21:00〜 9月7日(土)20:00〜)
http://www.fujitv.co.jp/jp/furano/index2.html
今回のギリークラブは“北の国から”テーマです。杉田成道監督、ずーっとプロデューサーだった山田良明氏、倉本 聰氏の原作をドラマ化してきたこのお二方から、北の国からにまつわるお話を伺いたいと思います。
最終回のオンエア直前という絶好のタイミングです。ずっとこのドラマに関わっていらしたお二人です。総括というか、感想というか、お二人の話から感じ取って頂ければと思います。
お二人と相談して貴重なVTRも流そうと思っています。ギリークラブだからこそ実現できた、貴重な企画です。今回はしっとり落ち着いて、と思っています。
お二人は日本のテレビドラマの重鎮です。情熱と信念を持ってドラマを現場でお作りになっている方です。今のテレビとは、芝居とは、演劇は?色々な観点での深い話が“直接”伺える、貴重な機会です。
どうぞ奮ってご参加ください。
なお、北の国からの総集編が8月23日(金)、8月30日(金)21:00〜
2週に渡って放送されますので、ご覧になってのご参加をお勧めします。
★フジテレビ資料より
「北の国から2002遺言」の放送を前に、今までのシリーズ総集編を『金曜エンタテイメント』で、2週に渡って放送します。脚本家・倉本聰が1981年にスタートした連続ドラマから前作『’98時代』までの作品を新たに構成、ナレーションを書き下ろし、純と蛍でナレーション部分を収録し直したものです。また、BSフジでも「北の国から」の映像が御覧になれます。
(※番組放送は1981年スタートですが、物語は1980年から始まっているためタイトルは1980からになっています)
8月23日(金)21:00 『北の国から 記憶 1980〜1987(総集編)』
(出演)
田中邦衛、吉岡秀隆、中嶋朋子、いしだあゆみ、竹下景子、地井武男、岩城滉一、原田美枝子、横山めぐみ、中沢佳仁、他
8月30日(金)21:00 『北の国から 記憶 1989〜1998(総集編)』
(出演)
田中邦衛、吉岡秀隆、中嶋朋子、竹下景子、地井武男、岩城滉一、横山めぐみ、裕木奈江、宮沢りえ、菅原文太、中沢佳仁、他
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<実施概要>
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●タイトル:「北の国から」テーマ・パーティ
●ゲスト :杉田成道氏 フジテレビジョン 編成制作局 ディレクター
:山田良明氏 フジテレビジョン 執行役員広報局長
〇日時 :9月3日(火)19:00〜21:30
〇場所 :代官山シンポジオン(渋谷区猿楽町17-16/電話 03-5458-6324)
★地図はこちら→http://www.hiramatsu.co.jp/symposion/map.html
〇会費 :ギリークラブメンバー5,000円 ビジター7,000円(当日入会可)
※当日入会も受け付けます。その場合は登録手数料10000円、2002年度通信費5000円を加えてお支払い下さい。
※法人会員登録ご希望の方はご連絡ください。
お申し込みは右記まで
→ g-club@gillie.co.jp
この機会にギリークラブへの入会ご検討の方はどうぞご連絡ください。
→メンバーになるには
※ご興味がありそうなお知り合いの方にこの会をご案内下さい。本当に興味がある方が集まる会にしたいと思っています。
※当日になってのご欠席は会費をご負担頂きます。ご了解下さい。 ご欠席の連絡は前日までにお願いします。
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